家康さんの御遺訓①

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写真では読みずらいので、文字に起こしてみます。

 

 

「常に天道を恐れる事を以て第一の慎みとする」

(解意)人間の第一の慎みは、自分の行いが天の道に適っているかどうかという事で、この慎みを忘れた時に、天罰が下されるのである。

 

 

僕は人として自分の行いが正しいのかどうかを、2015年の痛ましい出来事以降は特によく考えるようにしています。ある意味、あの出来事は天罰だったのでしょう。

 

 

語弊があるかもしれないけど、あの出来事は「誰が悪い、どちらが悪い」と単純に割り切れるものではなく、関係した者全員に原因があります。誤解のないように言いますが、原因がある=責任がある、〇〇が悪い・自分は悪くない、と言う意味ではありません。そのような出来事が起こってしまう「因」が関係した者全員にあった、という意味です。そしてここが重要で、「だからといって何をやっても許されるわけではない」のであって、「人として自分の行いに間違いがあった」からこそ、僕へ天罰が下ったのでしょう。やってしまったのだから仕方のないこと。反省すべきことは反省し、次に生かせばよい。

 

 

僕はいまだに☆彡へ戻る夢を叶えられておらず、苦しくつらい日々を送っているが、本を読んだり、いろんな人と話したりすることで「物事や人生の根本を哲学的な見地から確認」するようになってから、かつてのような問題は起こっていないと思う。

 

 

「常に天道を恐れる事を以て第一の慎みとする」。「私には関係のないこと」、「私は大丈夫」、「私に限って…」なんてことは、はっきり言います、絶対にありません。いつでも失敗なりトラブルは起こりえます。そして、これまで大丈夫だった、許してもらえたから次も逃げられる、なんて思っていたら、天罰どころではない「お返し」が必ずやって来ます。これまでは単に運が良かった、と思うようにしましょう。

 

 

皆さんもよく考えてみませんか? この御遺訓は、真実です。