家康さんの御遺訓②

2018年8月16日付のブログ「御神籤@久能山東照宮」に関連して…

 

 

東照公御遺訓

「知恵ある者は己れ一人にて智恵を用ゆるべからず(。)必ず仲間へも譲りて誠信を尽すべし」

(謹解)才能を独占せず広く同志へも分けて活用する様に誠意を示しなさい、かくする事によってお互(い)に向上していくのが人の道である。

 

 

全ての人に、その人にしかない「知恵」や「才能」があります。これまで生きてきて、たくさんの物事に接してきた僕はそう断言します。むしろ、「知恵」や「才能」がない人を見つけることの方が難しいし、僕は見たことがない。

 

 

ただし、問題はここから。家康さんの言う「才能を独占せず広く同志へも分けて活用する様に誠意を示しなさい、かくする事によってお互(い)に向上していくのが人の道である。」ができている人がいるか? と聞かれたら、僕の中では「・・・」である。正確に言えば、いるにはいるがどちらかと言うと少数派かな、ということ。もちろん僕はそのようにしているし、その考え方をずっと昔から持っている。

 

 

僕は「自分さえよければどうでもいい」、「才能を独占しよう」などというケチな考えは全く持っていないし、「広くみんなに伝えて役立ててもらいたい」と思っているし、「それで仕事でもプライベートでもお互いが向上し、より良き今日・明日をみんなで創っていけたら…」と心から望んでいる。その知恵・才能が役に立つかどうかは別にして。いや、役に立たない知恵や才能なんてどこにもない。

 

 

一方で、「独占」する人はいる。それも一つの考え方、生き方だから他人の僕がとやかく言うことではないし、否定や批判をするつもりも全くない。

 

 

このような方には「自分さえよければ…」、「なんで私がそんなことをしないといけないの…何の得になるの…」という気持ちがあると思う。そう思ってしまうのも無理のないこと。ただその代わり、このような方は何があっても、人に「求めてはいけない」と思う。自分は何も与えたくない、でも自分だけはいい思いをしたいし受け取りたいという思いはいずれ自らの破滅を招きます。初めはうまくいっても、後々必ず破綻します。僕が見てきた中で、はっきり言います、このような方はいます。もらうことばかりを考えていて、与えることをしているのを見たことがない。確かに今この瞬間は持ち出しになるかもしれない。でもそれが後々利益となって返ってくるかもしれないのに…。このような方がその後どうなったのか、皆さんのご想像にお任せすることにしましょう。

 

 

人生、物事のすべては「50-50(フィフティー・フィフティー)」です。もらうことばかりを考えて与えることをしなければ、そしてそれが50-50でなければ、その関係はいずれ破綻します。

 

 

僕はこれまで何度も大変な目に遭ってきました。それでも今生きています。僕に特別な才能や能力があったわけではありません。もうダメだ、と生きることを諦めかけた時に限って僕を助けてくれる人がなぜか突然現れるのです。いろんな形で現れ、いろんな形で「助け」を受けています。

 

 

なぜなのだろう…って考えた時、やはりこの家康さんの御遺訓「才能を独占せず広く同志へも分けて活用する様に誠意を示しなさい、かくする事によってお互(い)に向上していくのが人の道である。」につながってくると思う。僕は「自分だけ…」という「独占」の考えを持たなかった。損得も考えず、見返りも求めず、お互い幸せになれたらいいなと思ってギブし続けた。これが巡り巡って返ってきたんだ、と思っている。いいことはすぐにいいことで返ってくるわけではなく、このような形で返ってくることもあるんだよって教えられた気がする。

 

 

皆さんも考えてみませんか?