「御神籤@久能山東照宮」の「運勢」について

2018年8月16日付のブログ「御神籤@久能山東照宮」に関して最後にもう一つ…

 

運勢

世の中はお互(い)に助け合って行くべきものだ、失敗者があれば援助し、又はげましてやれば立直りも早くお互(い)によい運がめぐって来るであろう。

 

 

こんなのが出てたんですね~。「世の中はお互(い)に助け合って行くべきものだ」は本当にその通りだと思います。この信念を僕は持っているし、実際に僕はそうしています。人間は絶対に一人では生きていけません。「一匹狼」と呼ばれている人はいるけど、やっぱり生きているからには必ずどこかの誰かと「助け、助けられる」関係でつながっています。ただそれが周囲の人には見えていないだけです。

 

 

「失敗者があれば援助し、又はげましてやれば立直りも早くお互(い)によい運がめぐって来るであろう」も事実です。僕は元々優しい性格なので、困っている人や失敗した人を見たら見て見ぬ振りができず、僕のできる範囲で手助けをしたり、励ましたりしています。立ち直れるかどうかは最終的に本人次第となってしまうので、うまくリカバリーできた人もいれば、とても悲しい結末を迎えてしまったという場合もあります。

 

 

大事なことは、自分は「失敗者があれば援助し、又はげま」したかどうかです。もちろん、自分を犠牲にしたり、危険にさらしてまで援助したり励ましたりする必要はありません。自分のできる範囲でいいのです。見て見ぬふり…うーん、これも一つの考え方だし、人間だからそう思ってしまうのも仕方のないことなので批判も否定もしないけど、ノーリスクだからノーリターンなのでしょうね。いざ困った時に助けてくれる人が現れるかどうか…。

 

 

僕のこれまでの人生を振り返ると、僕は「助ける」側に損得を考えず、見返りも求めず、喜んで何度も立ちました。だからなのでしょうか、逆に僕が手痛い失敗をしたり、ひどく困っているときにはどこからともなく助けてくれる人が現れ、いろんな形で何度も助けられています。僕は今☆彡に戻ろうと懸命に頑張っているけど、本音で言えばもう極限の状態だし、いろんな問題が起きています。それでもこうやって生きているのは、やはりいろんな形で助けてくれる存在があるからです。もし僕一人だけだったら、もうつぶれていたと思います。

 

 

最近は人と人とのつながりがひどく希薄になっている、と感じます。ない、と言ってもいいくらいです。その一方で、世の中は急速に良くなるどころか悪くなっています。ますます一人では生きられない時代になっています。「どうするんだろう、みんな」と思ってしまいます。

 

 

人は「助け、助けられる」関係です。「助けてほしい」が「助けたくはない」は絶対に成り立ちません。人生は何事も「50-50(フィフティ・フィフティ)」です。得しないから、損するからなどと言って「見て見ぬふり」をするのではなく、「世の中はお互(い)に助け合って行くべきもの」だと考え、ぜひ自分のできる範囲で「失敗者があれば援助し、又はげまして」いく生き方をしてほしいと思います。そうすれば必ず「お互(い)によい運がめぐって来」ます。

 

 

負の連鎖があるように、プラス(幸)の連鎖もあります。あなたはどちらを望みますか?