御神籤@相州真鶴貴船神社 ~後編~

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今回は、相州真鶴貴船神社で引いた御神籤の「長文解釈」です(笑)。

 

(昨日の御神籤表面の続き…)

「身も進み財宝も出来て立身出世する事は 春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にてよき人の引立にあずかります けれど心正しくないと災いがあります」

→長文解釈って苦手なんだよなあ。学生時代は古文・漢文嫌いだったし…(笑)。

多分ここは、良き人の引き立てにあずかり立身出世して経済的にも余裕が出てくる、ようやく人生に春が訪れる、しかしここで心を誤ればその幸せを失って地獄へ落ちるだろうってことなんだと思う。

御神籤の解釈って難しい。現時点で言えば、良き人の引き立てにあずかるって言われても、状況から言って今の僕にその機会はあまりないだろうと思う。とはいえ、生きている以上はどこで誰と接触するかわからない。なので、絶対に良き人と出会えない、立身出世はできないとも言い切れない。白黒の判断が難しい内容です。この御神籤と神様を信じて頑張るしかありませんね。

 

 

(ここからが御神籤の裏面)

「神の心に叶えば嬉し、暗いこころも、晴れて来る」

金をためたら、慈善をするという人は、ためるお金に限度がないから、なかなか慈善が出来がたい。物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。情は人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。

→これはその通りだと思う。かなり以前の話だけど、神社仏閣の方とこんな話をしたことがあります。内容は、念願が叶ってから善を積むのではなく、先に善を積むべきだ、ということ。これはあくまで僕の考えですが、人々は神社仏閣に参拝してお願い事をし、願いが叶ったときに「お礼」をする人がほとんどだと思う。それはある意味当たり前のことだと思います。ここで考えたいのは、お願い事をするその前に、僕達はお願い事をするその相手に対して何かしているだろうか。人間関係でもそうだけど、誰かにお願いをするっていうことは、相手の人にその人の時間を自分のために使ってもらうっていうことです。いやらしい話かもしれないけど、自分のためにその人の時間を占有させるわけだから、やはりそれに対しては何らかの対価が発生すると思うんです。相手に対して何かをお願いする以上、自分も相手に対して何かをしなければならないのです。これが50-50(フィフティー・フィフティー)の関係です。この関係が保たれているからこそ、お互いが良好の関係でいられます。もしこれが100-0だったら、絶対にその関係はうまくいきません。ただ、対価=お金などとこだわる必要は全くありません。もちろん、金額の多い少ないでもありません。今の自分にできる範囲の、できることでいいんです。何かおいしいものをごちそうする、相手のためになる有益な情報を提供する、自分の得意な英語を教えたりとかで相手の手助けをする、相手の喜ぶことをする、など、なんでもいいんです。もしお金なら、今気持ちよく出せる範囲の金額でいいんです。今の全財産が1,000円しかない人が1,000円全部出すなんてことは絶対にできませんよね。でも100円なら気持ちよく出せるっていうのなら、それでもいいんです。要は、相手に何かを求める⇔自分も相手に何かを与える、ということなんですね。

「情(なさけ)は人のためならず」=人に対して情をかけておけば、それがめぐりめぐって、いつの日か自分によい報いがくるものだ、ということ。僕は、この言葉は真実だと思う。「自分さえ良ければ…」、「人を踏み台にしてでも…」なんて考えている人はよく考えた方がいいと思う。そのようにして得た物は絶対に長続きしないし、失ってから周りに助けを求めても、もはや誰も助けないと思います。

具体的な中身をオープンにはしないけど、僕はここで言う「慈善」を実は以前からやっています。だからなのか、ここまで何事もなく無事にやってこられました。本当に奇跡としか言いようがない状態です。でも何か特別なことをやったわけではないし、高額の寄付をしたとか、大それた慈善事業なんかもやっていません。今自分にできる範囲の、できることをただやり続けているだけです。将来の不安がないと言えばウソになりますが、でも心は明るいし、自分は救われていると今でも実感しています。

 

 

今回の御神籤も中々考えさせられる内容でした。皆さんもよく考えてみませんか。