御神籤@富士山東口本宮・富士浅間神社 ~残り編~

富士山東口本宮・富士浅間神社で引いた御神籤の残り部分を見てみます。

 

 

「なにごとにも心動かず常業を守ってゆくときは おもいがけぬ幸をうることあり いろいろと迷うときは人にたぶらかされて身のおき所にも苦しみます」

※たぶらかす(誑かす) うまいことを言ったり、ごまかしたりして人をだます。あざむく

 

 

前半の「なにごとにも心動かず常業を守ってゆくときは おもいがけぬ幸をうることあり」について

→常業とは「日課」という意味でいいと思うんだけど、お仕事はもちろんのこと、例えばジョギングとか英語の勉強とかがありますよね。これを邪魔する存在の1つに「雑念」があります。僕にも日課は当然あります。正直なところ、雑念のために何もできなくなったり、動けなくなったりすることが今でもたまにあります。でも、それは仕方のないことです。人間のリズムには波があり、調子のいい時もあれば悪い時もあるからです。それでもかつてと比べたら、だいぶ波は穏やかになりました。☆彡に戻りたい気持ちが高ぶってパニックになる、頭の中が大好きなあの人のことでいっぱいになる…これが元で何もできない、動けないでは何も得られません。このような雑念や外からの情報(誘惑)に負けないように、「なにごとにも心動か」ないように「不動心」を持ちなさいって言われている気がします。そして、別に大それたことをする必要はなく、小さな些細なことでもいい、日課を毎日確実に続けていくこと、積もり積もれば山となり、これが将来の「おもいがけぬ幸をうること」につながるのだよと。僕は今まさにこれを実践しています。時間を無駄にせずにどんなに小さい些細なことでも、こんなことが役に立つのかと思うようなことであっても少しずつ前に進めています。僕は長い忍耐の甲斐あって明るい幸せが目の先に待っている、と今でも信じています。

 

 

後半の「いろいろと迷うときは人にたぶらかされて身のおき所にも苦しみます」について

→僕は他人にたぶらかされたということはほとんどありませんが、過去このような状態の時に悪意のある方が近づいてきたということはあります。きっとマイナス体質がマイナス要因を引き付けるんですね。僕は人の本質を見抜く眼を持っているので、相手に対して正しく判断して行動できたからトラブルはありませんでしたが。僕は今人生で再び「いろいろと迷う」時期になり、とても苦しい状況に置かれています。今のところ人にたぶらかされることもなく過ごしていますが、気を付けなければいけませんね。

 

 

神の教(え)「なやむ思いを祈りにかえて、すがれひとすじ神様に」

病にかかって、病を苦にすれば、病はますます悪くなる。医療を施した上は、其(の)平癒を神様にお願いするがよい。病気ばかりではない。人力を尽くした上は何事も思いなやまず、神様に御祈りする。なやむ苦悩を祈願にかえる、なやむ隙に御祈りする。

→はっきり言うと「悩むだけ時間の無駄」ってことなんだと思う。悩んだところで夢や願いには近づけない、そんな暇があるなら英語を学習をしたり、航空などの知識を身に着けた方がいい。読書をしたり、いろんな人と話したり、ネットを駆使したりして知恵や情報を得たり…。僕はリズムが低調で動けないときも含めて、暇さえあればネットや読書に没頭して情報を浴びています。

そして、最近は「神仏」にも目を向けるようになりました。別に宗教に入ったわけではないし、入るつもりもありません。これまでは神仏に関心を持っていなかったけど、最近は「神仏を無視したり、軽んじたりしてはいけない」と思うようになりました。目に見えない不思議な力の存在を確信するようになったからかもしれません。僕は超能力者でも霊能者でもありません。霊の姿を見ることもできませんが、科学では割り切れないことが起きているのは確かだと思います。

最近は近くの神社・仏閣にお参りすることが増えました。このブログに書かれている以外にもお参りしています。外出する時は大抵訪ねていますよ。悩む暇があるのならお祈りしましょう、と考えたからです。祈願内容はいつもこのブログに書かれていることです。実際にあの通りに祈願しています。だから時間のかかること(笑)。

 

 

いつ引いても御神籤がタイムリー過ぎる! いつも僕の今の状況を言い当てられている気がします。正直、占いはなかなか実現しない(当たらない)けど、いつも考えさせられる内容です。とても偶然とは思えないです。