BOAC FLT911 ①

今回は、1966年(昭和41年)に起きたBritish Overseas Airways Corporation(BOAC)911便事故の「概要」と「飛行経路」について

 

 

BOAC911便事故とはどんな事故だったのか

1966年3月5日13時58分、BOAC911便(ボーイング707型機、乗員11名、乗客113名)香港行きが羽田空港を離陸しました。この便はサンフランシスコからホノルル、東京を経由して香港へ向かう定期旅客便でした。その後911便は、静岡県御殿場市上空で突然機体各部を分離させながら西方へ約10㎞ほど飛行、14時15分頃に富士山頂からやや南東へ約6キロの地点にある太郎坊に墜落。乗員乗客は全員死亡しました。この事故では、事故機が御殿場市上空から墜落地点に至るまで多数の人に目撃されており、新聞社や週刊誌のカメラマンが偶然撮影もしていました。

 

 

事故機の正確な飛行経路は不明…

事故当時、羽田のみが空港(ターミナル)レーダーを導入していました。日本が空港レーダーを導入したのは羽田が最初で、1964年のことでした。そして、管制方式も現在とは大幅に異なっており、ノン・レーダー管制が主流でした。現在のような管制へのコンピューターの導入もまだ行われていませんでした。さらに、機長には大幅な裁量が認められていました。

航空機のナビゲーション(航法)はNDB(無指向性無線標識)やVOR(超短波全方向式無線標識)を用いて行われ、航空路はこのような航法援助施設からの距離と方向で決められた地点を結んで設定されていました。そして、航空機はその航空路上に定められた義務位置通報点を通過するときにそれを管制官へ通報することが義務付けられていました。

事故機のフライトレコーダーは、操縦室の床下に装備されていました。しかし、空中で前部胴体が破断したときに中央胴体部にある燃料タンクが損傷し、大量の燃料が前部胴体の床下へ流れ込んでしまったのです。このためにフライトレコーダーのある前部胴体は墜落後炎上、焼損してしまったために記録が得られませんでした。ちなみにこの時、ボイスレコーダーは装備されていませんでした。

※ノン・レーダー管制 レーダーを使わない管制

 

 

50年以上も前の話なので、今とはかなり事情が異なっていたことがこの部分だけでも十分わかると思います。

 

 

僕は小型機の操縦士なのでエアラインのことはよく知りませんが、ノン・レーダー管制は現在ほとんど行われていないはずです。今は空もかなり過密になっているから、レーダーの助けなしでは操縦士も管制官も空の安全を守れません。フライトレコーダーが操縦室の床下にあったとは驚きです。今は垂直尾翼の付け根あたり(後部胴体の上方)だったような気がします。多分だけど、当時の技術では記録媒体の交換や点検・検査などを頻繁にしないといけなかったはずだから、取り出しの容易な操縦室の床下に取り付けたのだと思う。ボイスレコーダーはこの時まだなかったようです。今は技術も進歩して小型・軽量・長時間記録と高性能になっていますが、事故当時は東京オリンピックの時代であり音響機器もこれからという時代だったから、存在してなくても不思議ではありません。航空の世界にもこんな時代があったのですね。

 

 

つづく