BOAC FLT911 ⑤ ‐END‐

今回は、BOAC911便事故の「機長」、「事故機の運航状況」、「墜落前後の様子」について

 

 

事故機の機長は

 

機長(45)は1950年から羽田に離着陸するようになり、関東周辺の運航や気象条件、飛行経路についてはよく知っていたと思われます。また、1965年4月に乱気流内での飛行と乱気流による異常姿勢からの回復についての特別講義にも出席しており、乱気流と山岳波内での飛行についての知識も持っていました。機長には全く問題はなかった、と言えます。

 

 

事故機は不運が続いていた

 

事故機は、(1966年)3月4日16時45分にホノルルから羽田に到着予定でした。しかし、羽田の気象状態が悪く、空港の精測進入レーダーも15時25分から16時20分までの間は運用を休止していました。そして、ILSグライドスロープビームが飛行検査のためにこれも使えない状態でした。このため事故機は羽田に着陸できず、18時00分に福岡空港に着陸、福岡で1泊しています。翌日の5日11時52分に福岡を離陸し、12時43分に羽田に着陸。そして、13時58分に羽田を離陸して事故に遭遇することになります。

 

 

最後の瞬間

 

事故機は、御殿場市上空から墜落地点に至るまで多数の人に目撃されていました。

①滝ヶ原付近上空では、白い霧を噴きつつ高度を下げた

②土屋台・一里松付近上空では翼端から白い霧を噴きつつ分解を始めた

③五本松付近上空では、花火のような白い霧が機体後部に現れた。その直後に黒い霧が現れ、後尾が飛散した

④馬返付近上空では、降下姿勢から機首を上げ、500mほど水平飛行した。その直後に胴体からぱっと白い霧を噴き、墜落が始まった。降下するにつれ、白い霧は薄紫色→灰色と変わった

⑤太郎坊付近上空で前部胴体が分離、山林に落下して炎上。その他の主要部分は14時15分頃に太郎坊付近の山林に落下、火災は発生しなかった。残骸の広がっていた範囲は、東西に約16㎞、幅約2㎞だった。

 

 

この他にも情報はあるのですが、ここまでとします。

僕の個人的な見解ですが、この事故に関して、①機体には不具合はなかった、②乗員に事故に結びつく原因はなかった、③特定地点における山岳波などの破壊的な乱気流の存在を事前に予知することは誰にも不可能であった、ことは間違いないと思います。その意味で、この事故はとても不幸な出来事でした。

操縦士の一人として、僕は、事故機の操縦士が最後まで諦めずに操縦桿を握り続けたと信じています。リカバリーしようと頑張ったはずです。その様子が目に浮かびます。

 

 

「天国にいるBOAC911便事故の乗員・乗客の皆様へ…僕は皆さんのことを絶対に忘れません。セスナ機の操縦桿を握るとき、そして、いつか夢を叶えて☆彡に戻れたとき、皆さんのことを忘れずに安全運航・航空安全を守り続けることを誓います。どうか皆様、安らかに」

 

 

参考

航空機事故技術調査団/航空機事故調査報告書(1967年6月22日)

墜落/第6巻 加藤寛一郎著(2001年7月19日)