今日は、先日の御神籤の続き。
「生きることの喜びは人の為に尽くしているという心に湧き起こる」
私なりの解釈ですが、「自分はどうあれば幸せであるか」を考えるとします。私を例にすれば、「☆彡へ戻ってもう一度お仕事ができ、大好きなあの人とまたご縁を結べ、おいしいものを食べ、いろんなところへ旅をし、操縦桿を握って再び大空を飛んで…」といろいろ浮かんできます。
よくよく考えたら、これらは全て「自分が何かをもらっている、受け取っている」=「自分のことばかり」であり、「他人に対して自分のもの(物であったり、親切であったり)を見返りを求めない奉仕の心で施していること」=「人のために尽くすこと」が何一つとしてありません。
そして、自分の求めるもの全てを手に入れれば自分は絶対に幸せになれるのか、と考えたとき、それでもまだ幸せを実感することはできないだろうと思うのです。何かが欠けているように感じるのです。
心に邪なものがなく、見返りを求めない奉仕の心で他人に施したとき、きっと相手から感謝され、喜ばれるでしょう。他人に感謝され、喜ばれて怒る人などいません。むしろ、相手の喜ぶ姿や感謝の言葉に心からの幸せを感じ、自分の生きている意味や存在意義を感じることができると思うのです。
私は、「自分の求めるものを全て手に入れたとしても真の幸せを得られないだろう」と最近考えるようになっていました。「自分がもらう」ことだけを考えるのではなく、「クリーンな心で他人に施す」ことも実践して初めて幸せを実感できると。なので、自分は世のため、他人の為に何ができるのだろうか…と毎日考えています。
そんなことを考えている中での、御神籤に書かれていた「教え」。
「その通りだ。気づいたならば実践せよ」と神仏から言われているような気がします。
そうしよう。
つづく